鈴 の 音

事の始まりは、もう随分昔の話になります。私が子供の頃の話です。


そう、あれは母方の田舎へ夏休みを利用して遊びに行った時のことでした。

小学生だった子供の私はすべてが物珍しく一日中遊び回ってぐっすりと寝入っていたのですが、

夜も更けた頃になると尿意を催して目を覚ましてしまったのです。柱時計の文字盤は丑三つ時過ぎ。


ご存知の方もいらっしゃると思いますが、田舎では母屋に便所がないことが当たり前だったのです。

祖母の家も例外にもれず、小さな便所は母屋から少し離れた屋外に立てられておりました。

楽しい田舎での中で私が唯一 「不安」 を感じたのが、この便所の存在でした。


夜中にあの便所へ行きたくなかったけれど、一度自覚した尿意を押しとどめることはできません。

仕方なく私は、蚊帳をくぐり土間をぬけて母屋の玄関から引き戸を開けて外へと出ました。


引き戸を開けて夜の中へ出ると、少し先に便所がはだか電球に照らされていました。

明かりは、それだけです。

母屋のほの暗い明かりから離れるのが恐ろしくて足がすくみました。


怖い思いを早く終わらせてしまいたい一心で、私は走って小さな便所に向かいました。

昼間は大した距離とも思わなかった戸外の便所までの小道がとても遠くに感じられました。

粗末な木戸を開けて小さな便所に入った私は、小用を足し始めるにつれ次第に心底ほっとして、

ばかみたいだな。ははっ。何でこんなに怖がったんだろうと思ったのです。


私が安堵したその時です。人の気配のない便所の外に鈴の音が聞こえてきたのは。

田んぼでは、いつも賑やかな蛙の鳴き声さえ止んでいました。それは異様な静寂でした。

そんな静かな暗闇に、鈴の音だけが 「ちりーん」 と鳴っていました。

まるで便所の中にいる私の様子を窺うように。その鈴の音は静かに鳴っていたのです。


私は急に恐ろしくなって慌てて便所を飛び出し一目散に母屋へ向かって走りました。

走る私の背中に不気味な鈴の音が追いつくのではないかという不吉な予感がしました。


母屋に入り引き戸をぴしゃりと閉じると、私は転びそうになりながら土間を走りました。

暗い廊下を駆け抜け奥座敷へ戻ると、鈴の音から隠れるように私は布団に潜り込んだのです。


まだ私の耳には鈴の音が聞えていました。闇の中で鈴の音が近づいてくるのがわかりました。

ちりーん。

どうやら鈴の音は天井あたりから聞こえているようでした。


布団の中で身を縮めて震え上がり私は朝が来ることだけを願っていました。

やがて途絶えがちになった鈴の音が聞こえなくなり私は安堵しました。


そっと布団の端を持ち上げると、鈴の音の主は、布団の上まで来ていました。

鈴を咥えた大きな顔が中空にあって、じっと私のほうを見おろしていたのです。

宙に漂う巨大な生首。白目のない濁った眼球は、死んだ魚の目にも似ていました。

おしろいを塗ったようなその白い顔が、真っ赤な下唇を歪めて静かに笑っていました。


私の記憶は、そこでぷっつりと途切れています。気が付いた時には朝になっていました。


それ以来、私は今でもときどき、ふと鈴の音を背中に感じることがあるのです。

しかし、私は振り返って見ることも出来ずに、背後の暗闇にぶよぶよ漂っているであろう

あの鈴を咥えた白い顔を見まいと、ただ身を硬くするだけなのです。。。



おしまい。


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最終更新 2008年06月22日
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